2015年7月7日
- 2015年7月7日
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これまでの振り返りとして8章のp.81の「経験とは~」の「差異」についての再解釈と、9章のつづきに取り組んだ。
リンデマンのいう経験定義での「差異」とは、差異心理的な人との違いをいうのか、それとも現象学的に結果の違いを指しているのか?それとも両方なのか。「経験」の概念を考えると、何か新しい体験をしたときに使うことが多い。人との違いではなく、何かと違う=結果の違いの方ともいえる。また、後の文章に分散化(decentralization)・多様化(diversity)が出てくるので、人との違いなのではとも思える。しかし、原文doing something that makes a differenceからみると、限定はしていない。一方で、この文面から行為と効果の関係性の重要性も見て取れる。
8章は本当にタフな章で。半年以上をかけて取り組んできたが、
まだこの先、何度も読み返しが必要だ。
9章では、これまでの章が個人のパーソナリティの話であったのに対し、
それが社会の文脈上でのみ意味があるという関係性が述べられる。
このダイナミックな転換と関係性の理解には
柔軟性が求められる気がした。
教育を個人のパーソナリティの側面で見る。
教育を社会という視点から見る。
「ながめられる」という同じ表現が2か所で使われ対比されている。
「要求」をどのように捉えるか。
これも上記2側面からの見方があり、
生体外の要求であっても「自分の(拡張しつづける要求)」としてhisが
加えられているところに重要な意味がありそうだ。
「正確な意味の社会性」とは何か?
的確に内容を占めている箇所は見当たらないが、
パーソナリティを重要視しているリンデマンの文脈からは、
それが抑圧された状態では「正確」とはいえないということかもしれない。
今回も輪読の醍醐味を味わえた回でした。
自分ひとりではわかった気になっている箇所も
疑問を提示され、再度考えてみるとわからなくなる。
わかっていないのにわかった気になっている状態は
自分で気づくことは非常に難しい。
他者の視点や意見が刺激となり、自分を見直すきっかけとなる。
これを続けていくと、ひっかかりのセンスも磨かれるだろうし、
自分に疑問を投げかけながら思考・思索していくことも
進んでいくのだろうという気がする。
また次回が楽しみだ。

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