2016年6月26日
- 師友舎 勉強会
- 2016年6月27日
- 読了時間: 2分
6月の勉強会お疲れ様でした。
「ダイアローグ」輪読会3回目。第2章「対話とは何か」に入りましたが、前の図書「成人教育の意味」とはまた違った難しさがありますね。出版年は若いし、日本語訳も現代文で読みやすいのですが、この「対話」概念自体が単なるテクニックのことではないため、理解が簡単ではありません。
議論した箇所:
p.48「想定の裏にあるあらゆる圧力を対話は検討しなければならない」
p.49「誰かからいいたことや聞かなかったことといった、あらゆる経験が記憶にプログラムされている」
p.49「対話の狙いは、全体的な思考プロセスに入り込んで、集団としての思考プロセスを変えることにある」
個人的な感想:
p.44-49のあちこちに次のような表現がある。
「意見に異議を唱えなれると、まるで自分自身が攻撃されたかのように感じる」
「意見は『真実』として捉えられがちだ」
「意見と自分とを同一視し、正当化しようとする」
「大半の大人は、強い反発を示して、自分の意見を守ろうとするものだ」
「人は自分の想定を正当化せずにいられない場合が多く、感情的に相手を攻撃することで、それを守ろうとしがちである」
対話できる人は、このような行動をとらない。
しかし、文字面だけを追うと簡単なようだが、輪読会の場においても、上記の議論の際に各々の意見を述べ、それに対して反論されようものなら、「自分の意見を正当化し、守ろうとする」がすぐさま顔を出してしまう。
もし、意見と自分を分離し、意見を守ろうと感情的になることを回避できれば、対話に近づけるのだろう。
この取り組みが「集団としての思考プロセスを変えること」に通ずる。
自分ではなく集団を変えるというと、リーダーシップのようなイメージを抱きがちだが、自分を変えることでその集団に影響を与え、変化が生じるということがあり、対話はその一つなのかもしれない。
そのように理解し始めた今回の勉強会でした。
次回も楽しみにしています!(7月14日13:30位~)
では、また楽しんで頑張りましょう。
スギモト
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