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Study Salon

2016年9月19日

  • 執筆者の写真: 師友舎 勉強会
    師友舎 勉強会
  • 2016年9月19日
  • 読了時間: 3分

9月の勉強会お疲れ様でした。

「ダイアローグ」輪読会6回目。前回のふり返りから始め、p.53以降の疑問点などを検討した

議論した箇所:

p.53_l.11「自分の想定や意見が誤りだという証拠を示されると、受動的な態度でそれを守ろうとする」

⇒こんな風に、防御姿勢になっていること、自分もよくある。

p.53_l.11-14.「自覚はないかもしれない」「自分で気づいていない場合が多い」「たいていは無自覚」

p.54_l.4「民主主義が役立つ」

⇒この4~8行目はいったい、何を意味しているのか?

何に役立つといっているのか?民主主義とはそもそも何か?

意見の一致とはどのようなことを意味しているのか?

4~8行目の抽象的な説明を、具体化した内容が9~15行目。

(抽象的な文章はわかりにくいが、具体的な文章だと理解できる。抽象的な文章の理解力がまだまだ不足…)

p.55_l.5「他の想定」とは?

p.55_l.15「人は自己の利益や想定の方を優先させる」

⇒人とは、そういうもの。

p.55_l.17「心の中にあるコンピュータのプログラムと化す、何かが起きている」

⇒擬人化的な表現。生得的でないニュアンスか。

p.55_l.17「最善との意図」とは?

p.56_l.1「自分で意図を生み出す」とは?

⇒いま問題になっている、豊洲市場の例が分かりやすい。

p.56_l.12「そのようなこと」とは?=「心地のよい調整」

p.56_l.14「避けるべき辛辣な言葉がわかり始める」

⇒どの言葉が辛辣か、ではなくて、もし辛辣な言葉を発しても(発言できるようになる)、その辛辣な言葉を受け手側が理解できる、という意味。「お互いに知るようになった」状態であるからこそ、何でも言えるようになるし、言われてても平然としていられるようになる。自分を攻撃しているわけではないと分かっているから。

p.55_l.2~p.57_l.2 何を言わんとしているのか?

⇒対話におけるグループ規模は、大きすぎても小さすぎてもうまくいかない。

ベストなのは、20名とあるが、これは米国での前提であって、日本では「5-6名」という規模感だろう。

逆に米国では「5-6名」は「あまりにも小規模、うまく機能しない」とされている。

日本では、2~3人のグループだとあまり辛辣な発言は出ず、討議も盛り上がりに欠けることが多いが、5~6名だと色んなことを言う人が現れて、討議が盛り上がる傾向がある。

文化の違いが色濃く出ている部分である。

【米国】ーー【日本の感覚】

小過:5~6名ーー2~3名

ベスト:20名ーー5~6名

過多:40~50名ーー20~30名

個人的な感想:

「思考プロセス」と「思考」の違いについては、前回も主テーマとして扱われてきているが、やっぱり「わかったつもり」になっている自分に気づかされる。輪読の最中でも、内容に集中してしまい「思考プロセス」を思考することは、本当に難しい。この場が「辛辣な言葉」を出し合える場になっているだろうか。対話をするとは、自分の防御姿勢との闘い、自分を守っている限り難しいのかもしれないなぁ。

では、また次回も楽しんで頑張りましょう。

楽しみにしています!

スギモト

 
 
 

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