2017年6月20日
- 師友舎 勉強会
- 2017年6月20日
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「ダイアローグ」輪読第12回目、今月もさらに新たなメンバーを迎え、また違った刺激が投入されました!
議論した箇所:
これまでの振り返り:「思考のプロセス」とは?(再度)、「思考」の主語は誰?、「どんなレベルの思考」か?
⇒p.49に戻り「対話の狙いは、全体的な思考プロセスに入り込んで、集団としての思考プロセスを変えることにある」を再検討
→「全体的な思考プロセス」と「集団としての思考プロセス」の違い。
→「入り込んで、~を変える」とはどのように変えるのか?
上記を受けて、メンバーから事例(最近あった研修での出来事)が遡上。
この事例を、上記にあてはめて考える。
→「全体的な思考プロセス」とは何にあたるか?
→「集団としての思考プロセス」とは何にあたるか?
→その時の講師の発言は「思考プロセス」に入り込んでいるといえるか?
→その時の受講者の状態は?
→そのアプローチは受講者にどのような影響を与えるか?
→目的は?
→講師側の囚われ?
p.82_l.12「文化とはインコヒーレントなもの」
p.83_l.4「過去のあらゆる意味と現在のあらゆる意味はともに存在している」とは?
「そういった点を理解せねばならない」とは?
→すべてに意味がある=>ひとつとして否定できない
→p.62に戻り「どんなことに対しても決定をくだしたりしない」
「すべてに意味がある」スタンスに立ったとき、
否定も肯定もしない、評価もしない
→(例)ムチャをしている北朝鮮を理解する。←非常に難しいが、上記スタンスに立つと可能である。
理解する=肯定するではない。
(例)過去の日本とそっくりな分部ある、という見方もその一つ。
「真実」とは?
→著者ボームは、真実をどのようにとらえていたか?この世の中をどのように考えていたか。
<感想>
前月に続いて今回もNewメンバーが加わり、また新たな風が吹き、刺激的な回でした。
講師としての準備は何をしたらいいのか?この輪読会がその準備であり「忙しいからこそ参加する」という名言を吐いた(!)メンバーの想いが伝播しているように感じました。
また、センセーショナルだったのは、山で味わう感覚と、ファシリテーションがうまくいっているときの感覚が同じ!という見解。
自然に包まれるあの何とも言えない感覚が、学びの場で感じられるというのだ。
構成主義的な学習・教育を実践されている方々は、わかるでしょうか。
受講生たちと講師の隔てがなく、一体感が生まれ「あの感覚」になったとき、「うまくいく」と確信するそうな。
なんということでしょー。
自然相手と、人間相手では全くちがう?!と思う私には衝撃的でした。しかし「人間も自然でしょ」。確かに…。ともすれば、自分の問題ということに戻ってくる。
次回、山へ行ったときは改めて感じてみようと思う、細部まで。
では次回(7月24日)も考え・学び・楽しみましょう。 スギモト
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