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Study Salon

2017年7月24日

  • 執筆者の写真: 師友舎 勉強会
    師友舎 勉強会
  • 2017年7月24日
  • 読了時間: 3分

「ダイアローグ」輪読第13回目

議論した箇所:

前回の振り返りp.82-p.84、p.49-50

p.85_l.4「人が選ぶ役割」:役割を自ら「選んでいる」だろうか?普段自覚はない。しかしあえて「選ぶ」と表現しているのはどんな意味があるか?

→ボームの前提に「人は必ず思考している」があり、無自覚に選択しているということはありえない、それは本人がそのことに気づいていないだけで、思考→(感情→)判断のプロセスがあり、「『役割』は実を言えば、想定や意見に基づいたもの」であり、つまり「選択」した結果である、ということを言わんとしているのではないか。

p.86_l.13-17 この段落の内容が唐突すぎるように感じる。どのような意味づけ・関連か?

→前段のl.9-12の内容との関係を読み解いていく

→対話にはルールはあるのか?

→「ルールめいたもの」とは?

→「話す機会を誰にでも与える」とどうなるか?

→この項のタイトルは「対話における問題」。ボームは何が問題だとのべているか?

→問題が主題であり、その回答(解決策)には触れていない。

→問題の一つは、対話には厳格なルールがないこと。それゆえ分かりにくいこと。

→「対話グループ」になっているかどうかは、概念の問題であってルールで縛れない

→一人ひとり意見が言えることで、「役立ちそうな手段の必要性や価値がわかる」=それぞれの価値観、各々が大切にしている考え方などが明らかになっていく。口を開けばいいというわけではない。発言内容を通して、その人の思考を理解していくことが必要。

→「自分の考えや目的にグループを従わせたい」人は、厳格なルールのない、皆の発言を促すルールめいたもののある対話グループでは「おそらく対立が生じる」。

p.86_l.16「去る者がいれば、加わる者もいる」:去る者をとどまらせるようにしないの?

→厳格なルールないので、はっきりせず、入ってみないとわからない。入ってみて「『どうやらこれは私には向かないな』と感じる人もいる」、対話グループに対する意味を感じられなくなった人は去る。去る者は追わない。追ってもしかたない。その人を変えようとするのが目的ではない。

→「去る」とは、その場を去るの他にも「その場にいながら、参加していない」というのもあり得る。

p.87_l.9「対話のビジョン」←何?

→この項はp.101までと長い内容なので、項を通して理解していく。

p.88_l.6「憎悪とは、非常に緊密な絆」とは?

→p.87_l.13「感情のもつれは憎悪へと成長する」「世界的な風土病である」の部分と正反対の内容なのは、なぜ?

→「憎悪は神経生理学的なもの」=コントロール不可

→「感情のもつれは憎悪へと成長」=感情は思考(から生じる)面もある

→接触する故に対立生まれる、ぶつかる

→憎悪は、接触しているという点に焦点を当てれば、そこが突破口になりえる(=絆)という面もある

→評価、良し悪しを述べてはいない

<感想>

今回も頭を酷使しましたね。「普段使わない頭を使って疲れた~」とため息が漏れてました笑。

一人で読んだのでは得られない、新しい視点や、考え方、捉え方などがザクザク出てきて、輪読の意味を今回も味わえました。

一フレーズ、一単語を捉えるのは、枝葉末節・重箱の隅をつつくという感じではあるが、なぜ著者はこの言葉を用いたのか、きっと想いや意味があるとのではないかと思います。

学校教育時から、文章の要約をしてざっくりと捉えるよう鍛えられ、慣れています。

輪読でスローリーディングをし、一文一語に留まって意味を考えることは、スポーツで基礎練習・日々のトレーニングが欠かせないように、言葉の世界で生きる私たちの筋トレともいえるかもしれないですね。

では次回(8月23日)も考え・学び・楽しみましょう。 スギモト

 
 
 

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