2017年11月28日
- 師友舎 勉強会
- 2017年11月27日
- 読了時間: 2分
「ダイアローグ」輪読_第17回
輪読・議論した箇所:
p.99_l.7~「思考とは抽象的な概念であり、…限界があり、範囲を定めているのだ。」
⇒前段のアインシュタインvsボーアの例が何故取り上げられているかと関連がありそう。
⇒「全体」という概念は何か
⇒具体と抽象
p.99_l.8~「思考が中身を引き出している過去には、…分析できないのである。」
⇒「分析を行っている瞬間」を同意に思考することはできない
p.99_l.17~「真実に到達する『道』というものは存在しない…あらゆる道の意味を理解すれば、『道のない」状態に至る…どの道も変わらない。どれもが『道』だからであるーそれは厳然たる事実だ。」
⇒何を言わんとしているのか?
⇒「道」とは何か?
⇒「道」は結局ある?ない?
⇒厳然たる事実とは?
⇒カッコ付きの「道」と道の使い分け
⇒部分と全体との関連
p.99_l.12~「相対主義者という人たち…意見の一致を見ないだろう。」
⇒相対主義者の陥っているパラドックス
p.100_l.5~「友情を築けるかも…友情は生まれてくるかも」
⇒なぜ友情が出てくる?
⇒p.91にもすでに表記あり
⇒対話のプロセスではなく、対話の先にあるもの
⇒相手が友になろうという気になる可能性出てくる(自分はそれを受け入れても受け入れなくてもよい)
⇒対話に纏わる様々な欲求不満の先に、困難をすべて切り抜けた先にあるかもしれないもの
⇒p.96「欲求不満や怒り、激怒や憎悪や恐怖があっても、すべて受け入れられる何かを見つけなければならない」
⇒p.87「『対話のビジョン』を使うと想像してみよう」
⇒p.82「現在、一般的に社会が持っている意味は…あまりにもインコヒーレントなため、何らかの意味が本当にあるとはいいがたい状態」
⇒p.82「コヒーレントな意味を共有できなければ」
p.100_l.7~「他人の思考がわかれば、それはあなた自身の思考となり」
⇒相手が感情的になっている場合、そのもとにある思考に焦点を当てる。相手の思考を自分が思考する。こちら側も感情的にならない(感情は共有)
<感想>
今回も脳の筋トレ状態。疲れました 笑。p.87から続いた「対話のビジョン」の項をようやく読み終えたが、今一度、読み直してみないとなぁと感じる。十数ページにわたって述べれられている「対話のビジョン」、これが一体何なのか、次回自分のことばで言えるか? 本を読むとは何か、本に目を通すのと、理解するのは違うことを痛感させられる。簡単じゃない…けど、なぜか楽しい。
では次回も考え・学び・楽しみましょう。 スギモト
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