2024年5月7日(火)
- 師友舎 勉強会
- 2024年5月7日
- 読了時間: 2分
「被抑圧者の教育学」パウロ・フレイレ 輪読_第9回
@大崎第二地域センター(大崎第二区民集会所)
<議論した箇所・内容>
前回の続き
p.75_l.7「被抑圧者の無力さから生まれる力」とは?
=「抑圧する者される者両方を共に開放する力」とは?
ここのタイトル「抑圧する者とされる者との間の矛盾」
⇒それを乗り越える、次元を超える
⇒同じ土俵で闘わない
⇒これを現実社会(会社)でどう活かす?
会社では無理?
山崎製パンの記事
⇒チームなら可能?(愛の発動が起こる?)
⇒課内で抑圧している状態だとして、どうしたらよいのか?
・・本書を読み進めていけば分かる!
⇒「抑圧されている」ということ、言葉自体、初めて知った。
普段、そのような意識は全くない。
「これまでこうだったから」が通用しない
⇒世代間の価値観の違い
生きてきた時代、背景、当たり前の認識が全く異なる
⇒若者は昔の時代を知らない、年配者は昔も今も知っている。
ならば、年配者自身が「自分が20歳若かったら…」と想像せねばならない
逆もしかり、若者は戦争・飢えを知らない
創像←教育が必要
p.76_l.3「闘うことのうちにある」とは?
⇒p.76_l.7「闘うことのうちにこそ」とも書かれている
⇒超越性
⇒敵味方の戦いではない、相手を打ち負かす戦いではない
⇒自分を含めての闘い
X心許なげな生に見放された手
Xこの世のぼろきれともいえるような手
X地に呪われたる者の手
X施しを求めて力ある者に差しだす哀願の手
ではなく、
〇人間的な手
〇人々の手
〇労働し世界を変える人間の手
になるよう闘うことのうちにある
⇒この社会の為、お客様の為に、という視点か?
⇒p.76_l.6「連帯しようとする者たちのところから始まる」
⇒p.76_l.7「本来の意味での寛容が立ち上がる」
⇒p.76_l.11「解放は、偶然にもたらされるものではなく、解放を求める実践を通して、その闘いの必要性を認識し、再認識することによってはじめて解放に向かっていく」
また、次回も思考の訓練、楽しみましょう。 以上
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