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Study Salon

2024年7月1日(月)

  • 執筆者の写真: 師友舎 勉強会
    師友舎 勉強会
  • 2024年7月4日
  • 読了時間: 2分

「被抑圧者の教育学」パウロ・フレイレ 輪読_第10

@京橋区民会館


<議論した箇所・内容>

前回は2か月前だったので、前回内容の振り返りから


段落タイトル「抑圧するものとされるものとの間の矛盾」~それを乗り越えるということ

→次元を超える、上の次元へ、同じ土俵でたたかわない


教育が必要

→一般的には、上(の人)から下(の人)へというイメージだが、

 ここでは、被抑圧者が主導 =矛盾を超える


事例:職場でのパワハラ

 パワハラしている人は、かつて被抑圧者だったが、今は抑圧者側に

 一般的には、いまパワハラしている人に教育を受けさせて止めようとする

 なぜパワハラするのか? →保身のため

 自分自身が保身していることに気づかない限り、変化は難しい


抑圧の場合は、被抑圧者側からスタートせねば変わらない

→革命と同じ

→毒親の連鎖にも似ている

→吉田松陰、萩藩に対し若者の教育の必要性を訴えた


疑問:現在の状況が悪ければ当てはまるが、今の状況が良い場合は不要か?

→誰が「良い」と思っている?

 被抑圧者も抑圧者も、やられている・やっている意識がない場合がある

 (本人達、両人が気づいていないので、良いと錯覚している)


パワハラの例の、多くはパワハラしている本人はパワハラと思っていない。

(俺のころはもっとひどかった、これ程度でやられる方が弱いという考えに染まっている)


事例:セクハラ(女性が声をあげ、改善された)

→本書の内容との違いは?

 目的の有無? 自由の必要性?

 この事例では、上司側は女性陣に楽しく働いてもらうという貞で泳がしていると認識

        (メンツ保つ、自分達だけが基幹職)

        女性陣は、これを機に様々な要望を発露して希望を聞いてもらうようになっている

 セクハラ問題が転用している?


→本書では、抑圧の解放への闘い(戦いではない)

→「寛容」と「抑圧」

 本当のいみでの寛容=歴史の連鎖を断ち切る、断ち切れる人(主語)は、被抑圧者側


p.75 l.13になぜ注釈があるのか? (注釈2 P.77)

→注釈の内容が意味することは?

 「戻す」が意味することは?


→なぜ、ここに注釈がいれられているのか?

 本文との関連

 施す側・施される側、どちらで読みとるか?


→フランス革命

 いつ?

 日本の法律のもとになった

 日本の教育のもとになったものの変遷


今回は、前回の振り返りをしながら更に内容理解が深まりました。

(頁は進んでいませんが)


また、次回も思考の訓練、楽しみましょう。 以上




 
 
 

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