2024年8月9日(金)
- 師友舎 勉強会
- 2024年8月9日
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「被抑圧者の教育学」パウロ・フレイレ 輪読_第11回
@武蔵小山
<議論した箇所・内容>
p.76 l.16~p.77 l.6「被抑圧者の教育学」とは、誰に?「共につくり上げていくもの」?一体どういうことか?
⇒「被抑圧者」が主語であり、同時に対象=自らが抑圧について省察する学問
例えるならば、マネジメントをされる側がマネジメントについて研究する学問
自分が研究対象なので、「省察」と表現している
一般的な教育学とは異なり、
「普段の闘いの中で形づくっていくもの」
「共につくりあげていくもの」
「つくり、つくり変えられていく」
事例:会社組織の中で、課長と部下の関係(抑圧する側・される側)
役割変化、課長になっても抑圧する側に回らない人はどんなひと?
どうしたらそうなれる?
自分の体験では、渦中にいて、そんな風には思わなかった(自分が抑圧しているなんて)
親子関係でも同様のことが繰り広げられている
重要なのは、その時その瞬間に自分を客観視できるか、省察できるか(感情ではなく、思考を)
感がる対象は、「あの人」など人物ではなく、行為。
なぜ、あんな行為をするのか?あんな発言をしたのか?
その行為の目的や意味を考えることが重要。
事例:管理職前の階層を対象にした研修
社員を育成しても、やめていってしまう「徒労に終わった」
この発言は相手のせいにしている。=対象が相手にある。
自分の思考を対象にすると?
p.77 l.7「二重性」とは?
⇒ l.7「自らのなかに抑圧者を『宿して』いること」
宿しているとは、生んでいる
抑圧されている側が、抑圧する側をはらんでいるという矛盾
そう認識しているのは自分自身であるという事実
p.77 l.7「生来のものではないものを体現しているというくるしみ」とは?
⇒抑圧されている状況
自分自身を知ること、発見すること(l.10)が重要
気づくこと、省察、そのために教育が必要
また、次回も思考の訓練、楽しみましょう。 以上
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