2025年5月15日(木)
- 師友舎 勉強会
- 5月14日
- 読了時間: 2分
「被抑圧者の教育学」パウロ・フレイレ 輪読_第16回
@武蔵小山
<議論した箇所・内容>
前回の部分(欠席者からの質問)
p.80 l.16~「規範」とは?
→話が展開して…学術界の任命問題
p.81 l.6~「決まりに従う抑圧された者は自由を怖れるようになる」
→「1984」ジョージ・オーウェル,を想起させる
→p.83 l.1「仲間がいっそう抑圧されることを怖れる」
※日本の現在は、マシか? 無関心な人が多い分問題か?
p.83 l.3~「自由への希望」とは?
※そもそも「自由」になった状態ってどんな状態?
→
p.64 l.14~「自由とは、人間が自ら選んでそこに根を持ち、はっきりとした客観的な現実を変革するための努力をし、その状況により深くコミットしていくこと」
p. 81 l.9~「自由とは、なり遂げて手に入れるものであり、与えられるものではなく、常に探求する指定によって得られるものだ。常に探求する姿勢は、責任ある行動を要求する。自由であるための自由、はだれにもない。」
※プロセス定義
※「自由を探求する、自由を希求する」ことと「『自由』とは何かを探求する」は異なる。
※自分は、自由であるか?と批判的に再認識していくこと
p. 83 l.6~「共生、共に生きる」は、「ダイアローグ」D.ボームにあったトーテムポール等の話と同じか?精神的な繋がりといった意味か?
⇒次回に持ち越し
また、次回も思考の訓練、楽しみましょう。 以上
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